茂木 鈴(もぎ すず)公式



お人好しが、異世界で一旗揚げますん




正司の初お人好し



 これは土宮正司が、まだ小学校三年生のときの出来事。

 担任は新任の女性教師で、やる気もあり、仕事熱心。

 日々、教育に情熱を傾けている……といえば、とても立派な志を持っているように思えるが、彼女は大学出たての社会人一年生。

 経験不足は否めなかった。

 当時、算数嫌いの子供が多いとテレビや新聞で話題になっており、担任もそのニュースを聞いて知っていた。

「子供たちが算数嫌いにならないためにはどうすればいいか」

 それを真面目に考えたのである。

 テレビで子供たちに「なぜ算数が嫌いか?」というアンケートをとったところ、「難しいから」「分からないから」という回答が大半だった。

 彼女はそれに目をつけた。苦手科目だからだめなのだ。

「算数嫌いをなくすには、算数が得意になればいい」

 彼女はそう確信した。

 はたして、それは可能だろうか。



 こんなエピソードがある。

 女性教諭がまだ学生時分、夏休みにテレビで高校野球の甲子園大会を見ていた。

 野球についてはあまり詳しくなく、テレビをつけていたら、いつのまにか始まっていたという感じだ。

 画面の中ではサードランナーが走り、バッターがバントした。スクイズである。

「なるほど、今のは監督がバントをしろという命令を出したのね」

 スクイズは成功し、攻撃側に1点が加わった。

 そのとき彼女は思った。


 ――バントじゃなく、ヒットのサインを出せばよかったのに


 先ほどのスクイズは際どいプレーだった。

 ヒットを打てば、そんな危険を冒さなくても、1点入るのにと思ったのだ。

 試合は進み、いつのまにか攻守が交代していた。

 攻撃側が2点差で負けていて、これから追い上げるという場面である。

 2人出塁したところで、彼女が考えた。

「つぎはホームランのサインを出せばいいのね」

 2点差で二人のランナーがいる。バッターがホームランを打てば逆転できる。

 自分が監督ならば、ホームランのサインを出す。単純な計算である。

 そう、監督のサインでホームランが打てたら、苦労しない。

 すべてのバッターへサインを出せばいいのだ。

 これが彼女を説明する分かりやすいエピソードである。

 彼女は新任教師。やる気と熱意はあるものの、経験は……なかった。



「どうしてできないの!」

 それが彼女の口癖になった。

「分かりません」と答える児童には、「分かりなさい」と諭す。

「できません」と首を横に振る児童には、「やりなさい」と促す。

 教師が「分かれ」と言って理解できれば苦労はしない。

 土台無理な話なのだ。

 彼女はクラスで孤立し、児童たちは追いつめられていく。

 ついに気の弱い一人の児童が、学校に来なくなった。

 今で言う「不登校」である。当時は、登校拒否と呼んでいた。

 怪我や病気でないにもかかわらず、自分の意志で学校に来ない児童。

 それに対して、彼女は「来なさい」と告げる。

 やる気と熱意はある。あるがゆえに、自分が正しいと信じて疑わないのだ。

 クラス内の雰囲気は最悪になった。

 欠席する児童が増えて、体調不良を訴える児童も日を追うごとに増えていった。

 女性教諭はイライラし、暴発寸前だった。

 正司は「このままではいけない」と幼いながらも考えた。

 どうすればいいか、という明確なビジョンはない。

 けれど、今の状態がよくないことは分かっている。ならばと、正司は動いた。

 もし正司がずるがしこかったら、表面上だけいい顔をして、やり過ごしただろう。

 真面目だったら、彼女に直接言ったかもしれない。

 正司は、親から「困ったことがあったら、まわりの大人に頼りなさい」と言われて育ってきた。

「学校で困ったことがあったら、担任の先生を頼りなさい」とも言われていた。

 家では親、学校では担任、外では周囲の大人に頼る。そう言い聞かされていたのだ。

 しかし今回は、担任が原因である。原因を作った者に頼ることはできない。

 では誰が適当か。


 ――担任の先生より偉い人に頼ればいいんだ


 正司は単純にそう考えた。その考えは間違っていない。


 ――ある意味、正しい


 このとき、親に頼っていれば、もしくは周囲の先生に頼っていれば、結果は違ったものになっただろう。

 ある日正司は登校すると、まっすぐ校長室へ向かった。

 突然の来場にも、校長先生は穏やかに出迎えてくれた。

 正司は、自分のクラスの現状といまの思っていることを話したのである。

 教諭として二十年以上教育に携わった校長先生は、正司の話を丁寧に聞いた。

 そしてすぐに他の児童からもヒアリングを開始した。

 対応がマニュアル化されていたのかもしれないし、過去に似たような事例があったのかもしれない。

 いずれにせよ、児童へのヒアリングを終えたら、今度は何人かの保護者からも話を聞いた。

 この時点で、他の教職員の先生方にも情報が伝わる。

 そう、正司がおこした行動は、思ったより大事になってしまったのだ。

 ここから先は大人の問題。どこでどんな話し合いが持たれたのか、正司は知らない。

 いくばくかの時間がかかったものの、正司のクラスは副担任が臨時で授業を行うことになった。

 それに喜んだのはクラスのみんな。親から事の発端を聞いていた児童もいた。

「ありがとう、ただしくん」

 久し振りに学校へ出てきたクラスメイトは、真っ先に正司へお礼を言った。


 普段大人しく、いるのかいないのか分からない正司が、なんて大胆な行動を起こしたのか。

 まるで英雄的行為。それが児童たちには新鮮だったのだろう。

 クラスのみんなも口々に、正司の英断を褒めそやした。

 みな、担任教諭から嫌な思いはしたものの、どうすればいいのか分からなかったのだ。



 この経験があったからかもしれない。

 これよりのち、正司は意識せずに、困った人へ手を差し伸べるようになる。

 感謝されたりさればかったり。でもそれは関係ない。

 それが正司の日常になっただけなのだ。



 今日もまた無意識に、正司は困った人へ、手を差し伸べる。